にんげんこうどうのわって何?

ワタシの独り言

泊るボランティア 呑むボランティア 買うボランティア

 ずっと被災地が気になっていましたが、具体的には何も行動できずにおりました。 毎年9月後半に、夏休みをとって温泉旅行に行くのですが、今年は私の希望で「被災地に行こう!」と決めました。 できれば、どこかでボランティアをとネットで情報を探しまくり...
 初日東北道を南下し、南三陸に向かいました。高速を降りて三陸海岸に向かいますが、行けども行けども山ばかり。
 夕方暗くなり始めたころ、急に視界が開けました。薄暗くてよく見えないのですが、原っぱに電柱だけがやたらと 立っている開けた土地に出たのです。それが南三陸町志津川地区でした。原っぱに見えたのは、かつて町があったところ 夏草が生い茂っている中に、家々の土台が。 道路沿いの川も水位が異様に高く感じ、大きな土嚢が積み上げられていました。水位が高いのではなく、地盤沈下のため水面が近いのです。
 その日は、南三陸ホテル観洋に泊まり、大いに「呑むボランティア」もしました。 翌朝は、ホテル観洋の「語り部バス」で1時間ほど町を案内して頂きました。 その様子は、アルバムでご覧下さい。



気仙沼は、津波の後に大規模な火災が起きたところです。

 翌日は海岸線を北上し気仙沼へ。湾が入り組んでいるため、まるで川のように対岸の建物がすぐ近くに見えます。その狭い湾の中を巨大なタンクや船が濁流とともに浮き沈みする映像を思い出しました。気仙沼は津波の後大規模な火災にみまわれたのですよね。
 私は、3月12日の夜、電気がついて初めてテレビで各地の惨状を目にしました。「あーっあー!」と声が止まらず口も目も見開いたまま茫然としました。その中でも、ヘリコプターから「気仙沼が燃えています」 と叫んでいた映像。真っ暗な闇の中、町がすべて燃えてしまったのかと思うほど広い範囲が炎に包まれていました。
 復興商店街のあさひ鮨さんで「復興スペシャル」というお寿司を頂きました。ふかひれ軍艦食べました。おいしかった!
 さらに北上しようと走っていると巨大な船が道端に。テレビで何度も見た記憶があります。この船があるのは鹿折地区。船を震災の遺構として残すか、撤去するか揺れているそうです。「この船が家を押しつぶすのを見ていた」という地元の人にはつらい風景。 一方、無関心、風化という問題も大きい。

陸前高田 言葉を失いました...

 南三陸町も気仙沼も大変な状況でしたが、陸前高田市はあまりに広大な土地が津波によって流されており、絶句しました。
 南三陸も気仙沼も陸前高田も津波の傷跡の残る建物や船をどうするか揺れに揺れ、この日南三陸町では防災庁舎を取り壊すことを議会が議決しました。陸前高田では、一番大きな指定避難場所で、ほとんどの方が津波に呑まれて犠牲になった市民体育館の取り壊し工事が 始まっていました。
 南三陸、陸前高田ともあまりにも広大な土地が流されてしまい、さらに同じ自治体内に高台の平地が少ないという大きな問題を抱えています。それは岩手県大槌町も同じです。 先日のNHKの番組によると岩手、宮城の中ではこの3市町が、人口流出が突出して多いのだそうです。故郷は大切だけれど、生きていかなくてはならない現実。
 今回被災地を初めて訪れましたが、行く前も、現地にいても悩むのは「不謹慎ではないか」という思い。たくさんの方が亡くなった場所を訪れてうろうろするのは勇気がいることです。 でも、youtubeで陸前高田の市長さんが「不謹慎などと思わずに是非被災地に足を運んで下さい。直接目で見て肌で感じて下さい」と訴えておられました。実際問題 観光も大きな収入源であったのだから、たとえ遠慮してであっても、人が行かなければ、宿泊施設も飲食店もお土産屋さんもタクシー屋さんもお金が入らない。
 そう思いながらでも、被災地にいて、車を止めて、あちこち見たり写真を撮ることには慎重になりました。地元の皆さんがどんなにつらい思いをされていたかと思ってしまうからです。
 でも、行ってみて良かった。テレビや写真で見るのとは全く違います。南三陸の防災庁舎を実際に見上げて、あんなに高いあの屋上にいて津波に流される...?考えられない。海から1kmは離れている合同庁舎の3階の天井まで浸水??信じられない。 3階建ての陸前高田市役所の屋上から、濁流がすぐまじかに見えている写真は見ていましたが、それが、あんなに高いところだなんて。海岸近くでは4階まで浸水している建物もありました。
 皆さんも近くに5階建て以上の建物があったら、見上げてみてください。その3階、4階まで水没するってことがどんなことか想像してみてください。陸前高田市役所付近の津波の水深は13mくらいだったそうです。東海東南海地震の想定ではこれ以上のところもあるのではないでしょうか?
 私は正直、震災からずっとテレビを見ていて、なぜ逃げなかったのだろう、危機感が希薄だったのだろうかと思う気持ちもありました。でも、実際行ってみて、確かにすぐに高台に逃げなかったのはまずかったけど、誰が3階4階まで水没すると想像できるでしょうか。病院の4階で溺れるなんで考えられるでしょうか。 立派な市民体育館や市民会館(しかも指定避難場所)にいて、天井まで達する津波で流されることを誰が想像できるでしょうか。ここにいたら私だって死んだかもしれない、と思いました。
 そう思ってビデオやDVD、写真集を見直すとまったく感じるものが違いました。
 震災の4日後には被災地に入られていたアウトドアメーカーモンベルの会長辰野さんが、『リスクマネジメントの究極は「想像力」』と日頃から社員の皆さんに教えていたそうです。(『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』109ページより)
 さまざまな防災番組が放送されていますが、究極は一人一人の「想像力」、どんな状況が考えられるか、どんな可能性があるかをイメージする力を養い、それにしたがって実際の行動を起こしていくしかないのかな〜と感じています。そのためにもさまざまな 情報に触れて、見て、感じて自分の「想像力」を鍛えていきたいと思っています。
 被災地に行き自分の目で見て感じたことは、忘れることができません。何か小さなことでも力になりたいと思います。これからの自分の生き方や行動の原動力になる体験をしたかな〜と思います。
 人間行動でフィールドワークを経験している皆さんであれば、この感じわかるでしょ?今は、どんどん震災の遺構が取り壊されています。復興のためには必要なことですから。 でも、この日本の一大事を心に、頭に刻みつけたいと思ったら、是非それほど遠くない時期に被災地を訪れることをお勧めしますよ。
再生陸前高田ブログ20121110 旧市庁舎解体お別れ式

かわいキャンプでボランティア

 このあと2日間、岩手県盛岡市が沿岸被災地の支援のために設置した「かわいキャンプ」でボランティア活動をさせて頂きました。私は2日間とも宮古市の仮設住宅の談話室のサロン活動に参加させて頂き、 相方は、大槌町の仮設住宅の引っ越しなどお手伝いさせて頂きました。続きは、かわいキャンプのページでご覧ください。