にんげんこうどうのわ!

とりとめのない時代――初期「人間行動コース」の回想 池上良正先生   

池上良正先生より、人間行動コースの想い出をお寄せ頂きました  (平成27年11月)

 先日、林先生が防災科学技術研究所の理事長に就任されたというニュースを皆様にメールしたところ、思いがけなく池上先生よりお返事を頂きました。
『……それ以上にすごいのは、こういうニュースを知らせてもらえるようなネットワークがあること。 ○○会会則みたいな堅苦しい組織ではなく、私のように入っているのか外れているのか分からない者でも、何となく気楽にひっかかっていられるような、 そして新米教師だった懐かしくも恥ずかしくもあるような熱い時代にめぐり会った方々を思い出せるような、ゆるーい「ご縁」があるということが、何よりもすばらしいし、ありがたいと思います。』

…なんともうれしいオコトバ...。「人間行動のご縁」を喜んで下さっているようなので、さっそく「当時の想い出を…」とお願いしたところ、あっという間に書いてくださいました。池上先生お忙しい中本当にありがとうございました!これからもゆるーくやっていきますのでよろしくお願い致します。

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とりとめのない時代――初期「人間行動コース」の回想

 人間行動コースに所属していたのは、発足時の1981年4月から1990年3月までの9年間、年齢でいえば32歳から41歳までになります。途中1986年にはサバティカルで1年間沖縄に行かせてもらったので、青森県民だったのは8年だけ。それにしては、弘前での生活というのは私にとって思い出深く、今あらためて振り返ると、たった8年というのが信じがたいほど濃密な時間でした。

 その後のコース解消の経緯や、再編後の状況などは断片的に耳にする程度でした。ですから、私が知っている「人間行動コース」は、あくまでも発足期の、やる気と好奇心だけは有り余るほどあって、でも教員も学生も何をどうやったらよいか、毎日が手探りの連続といった、あの「とりとめのない時代」に限定されます。

 乱雑に取り散らかってはいるけれど、教員たちの雰囲気はやたらと前向きで、面白がることのできる夢や展望がありました。じっさいには、遠い地平線の蜃気楼に、むりやり形を見つけていくような試みでしたが、まあ何とかなるだろうという自信にあふれていました。よく考えれば、さほど根拠のある自信ではなかったのですが・・・。

 そして学生さんたちも、時に戸惑いや反発を感じながらも、この怪しい渦のなかに巻き込まれていくことになりました。「ねぶた研究」だの、「災害研究」だの、「雪国研究」だの、ほとんど教員たちの思いつきから始まり、それでも結果的にはそれなりの「成果」を産み出してしまった「共同調査」という不思議な渦のなかに。

 コミュニティの性格という点からいえば、最高学府の講座や研究室というよりも、何かスポーツの同好会のような雰囲気でした。そうした体育会系のノリにうまく収まっていった学生さんは多かったように思いますが、他方では、違和感や物足りなさ、あるいは疎外感を覚えた人たちもいたことでしょう。前者の人たちについては、今も懐かしく思い出すことができるのですが、後者の人たちが大学時代をどのように振り返っているのか。この歳になってみると、いささか気になるところではあります。

 行動コースの教員は、午後1時になると揃って学食に集まり、一緒に昼食をとるという習慣ができていました。年輩の教授陣のなかには、奇異な感じを持った方もおられたようです。調査や実習と称して、教員と学生たちが連れ立って学外に出ていくことも多かったので、「行動コースは、いつもみんなでツルんでる」といったニュアンスの揶揄もありました。当時の人文学部には私たちと同世代の若い教員が多く、陰から応援してくれる方々も少なくなかったので、決して組織として孤立していたわけではないのですが、それでも老教授が不在の新コースの動向は、何かと話題になったようです。

 私自身の性格からすれば、体育会系のノリというのは得意ではありません。あえて好きか嫌いかと問われれば、あまり好きではない、といったレベルです。ですから、もう10年後だったら、おそらくあのような関わりはできなかったでしょう。もちろん「一匹オオカミ」を自称できるほど強くもないので、適当に距離をおきながら必要な義務だけを果たしていく、といった関わり方を選んだのではないかと思います。ところが、当時を思い返してみると、コースの人間関係や教育上の仕事が「面倒だった」とか、「居心地が悪かった」という記憶がほとんどないのです。

 人は嫌な記憶から消していくらしいので、単にボケが進んだ結果だけかもしれませんが、ネブタ小屋での調査にしても、津波の被害を受けた海辺の村や、白神山中の村落での実習にしても、学生さんたちを引き連れて、どうやら本気で、正面から全力で取り組んでいたようなのです。当時は、後に自身の学位論文のテーマにもなる巫者信仰の調査が佳境に入っていた時期でした。本来なら、自分の調査研究に集中するために、学生相手の「実習」なんぞに費やすエネルギーは、できるだけ節約したくなるはずです。ところが、コースの共同調査では、むしろ私自身が面白がって積極的に議論したり、本気で叱ったり褒めたりしていた。いってみれば、実に立派な先生を真面目にやっていた、という気がするのです。

 なぜだろう、と考えてみると、もちろん様々な環境要因があったと思います。ともかく若くて体力と気力があったこと、それに同僚の先生たちの才能や人柄、学生さんたちの基本的資質や意欲など、いくつかの恵まれた条件がそろっていたことは確かです。と同時に、私自身の人生のステージと、行動コースのスタート時期が、うまくシンクロした、という気がします。単に年齢的に若かったというだけでなく、私の「とりとめのない時代」と、行動コースの「とりとめのない時代」とが、不思議な形で重なり合ったのではないか。

 「とりとめのない時代」とは、まさにとりとめのない表現ですが、あえて分析器にかけてみると、「とりとめのなさ」の成分は「がさつ」と「ひたむき」です。

 「がさつ」の対極にあるのは、長い伝統に培われ、見事に体系化され、洗練された技によって端正に整えられた世界です。それは人々を圧倒し、強い感銘を与えます。これに対して「がさつ」とは、わけのわからない小間切れの知識や情報、うんざりするような野心や願望、頼りないアイディアや計画、こうしたものが無秩序に散乱しているイメージです。周囲から尊敬を集めることは難しいのですが、既成の思い込みを打ち破るような不気味な潜在力が秘められていることもあります。

 「ひたむき」とは、文字通り損得勘定ぬきで物事に没頭する状態です。はた迷惑な自己陶酔に陥る危険はありますが、真摯な熱意は、時として尻込みする人の背中を押し、苦境にたたずむ仲間に、希望の光で道を照らすような力があることも事実です。少なくとも、教員としては、そう信じたい。

 初期の人間行動コースは「とりとめのない時代」でした。そこには「がさつ」と「ひたむき」が満ちていました。自分なりの種子を見つけて開花させることができたという自覚をもつ人もいれば、何の得るものもなく、相変わらずとりとめなく生きてしまった、と感じる人もいるでしょう。ですから、その功罪を○×式に総括することはやめましょう。懐かしさに任せて、「とりとめのない時代」を自画自賛することも控えたいと思います。

 ただひとつ、この時代を共に味わった人たちの間に、「にんげんこうどうのわ」のようなご縁がしぶとく続いているのは、やはりあの「とりとめのない時代」の大いなる産物といえるのではないでしょうか。そう考えると、この時代こそ、まさしく「貴重で珍しい」という含意をこめた「有り難い」時代ではなかったか、とも思えてくるのです。