2017年11月16日の東奥日報夕刊の明鏡欄
『青森愛に満ちた「北のまほろば」』の中で、「リンゴの涙」についてふれられています。
これは平成3年の台風19号いわゆるりんご台風の際、田中重好先生と人間行動の学生たちで編集した小学生の作文集だそうです。編集の携わった11期福原(工藤)さんがお知らせ下さいました。
以下福原さんよりのメール****
平成3年にあの台風19号がきて、弘前は壊滅状態でした。この記憶を後世に伝える災害教育の一環になると、おそらく重好先生は考えられたのでしょう。
人間行動は3つのコースに分かれていましたが、この垣根を取り払っていつもの授業とは別に(放課後や休日など)この災害を検証する自主参加のゼミを重好先生が立ち上げたのでした。
2、3年と大学院生14人の名前が編集委員として掲載されています。
現状を調べていき、(重好先生のアイディアですが)作文班とラジオ班と確かアンケート班が結成されました(私はラジオ班で報道研究の論文を先輩と作りました)。
班には分かれてはいましたが、アンケート作成や文書の推敲など、皆で作業しました。作文班は弘前近郊の小学校かなりの数にお願いにいき、大量の作文から皆で選考しました。本当に涙を禁じ得なかったのを覚えています。
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弘前大学台風19号作文編集委員会
田中重好先生
鈴木聖敏 三上泰(以上大学院) 阿部征哉 石沢貴志 小倉賢治 工藤理佳 田村昌弘 宮島昭良(以上3年) 土田奈美子 土岐暁郎 成田由希子 本間由子 村田健一 山本奈央(以上2年)
どんな詩だろうと、検索してみたらいくつか見つかりました。
私も涙がぼたぼた落ちました。
いくつか子供たちの詩をご紹介したいと思います。
最初の二編の詩の反響が特に大きかったようです。
小学生53名の作品が、「台風に備える」「台風がやってきた」「台風がさって」「リンゴのじゅうたん」「出稼ぎにいかねば」という五章に分けて掲載されているそうです。
図書館にあるかな。
三和小学校 四年 澤田龍太
黒い雲の広がった空を見上げて
お母さんは
手をあわせて おがんでいた
目には
いっぱい なみだがたまっていた
せなかをまるくして
じっと 手をあわせている
こんなお母さんを見るのは はじめてだ
ぼたぼた ぼたぼた
畑でりんごの落ちる音がする
赤い大きな「世界一」が
ふくろのかかったままの「むつ」が
風にたたかれて
枝からはなれていく
ぼたぼた ぼたぼた
りんごの落ちる音は
お母さんのなみだが 落ちる音だ
お母さんの丸いせなかを見ていたら
ぼくの目からも なみだが落ちた
小和森小学校 五年 工藤尚孝
「こんなに売れるのに
もっとたくさんもってくればいいのに
青森の落下リンゴ 五個で百円
お手つだいしたい」
テレビで 東京の主婦が言う
何も しらねで
落下リンゴ拾うのも
東京まで運ぶのも
ただでないのも しらねで
東京まで持ってくればいいだって
一箱千円ちょっとで
売り出すのに 持ってくればだって
一個百円もの金かけて 育てたのに
たった二十円で 売るのだのに
何千箱も 地面にころがって
ひろう人手もなく
雨にうたれ
くさりかけているリンゴ
ジャム用のれいぞうこでも
半分はすてねば なんねんだ
ころんだ木々
さけた木 たおれた木
リンゴなるのに 六年もかかるんだぞ
助成金って
かりる金なんだぞ
たった三個より なっていない
リンゴを見ながら
くさりかけたリンゴを
思いきりふんづけた
大鰐第二小学校 四年 木田 梢
台風がさったあと
家族みんなで畑へ行った
アッと息をのんだ
足も動かなくなった
畑一面に
赤いじゅうたん
黄色いじゅうたん
おじいさんが
「ずいぶん りんごも苦しんだなあ」
と ポツリと言った
一つ一つ手でひろった
えだとこすりあったきずあと
地面にほうり出されつぶれたあと
心の中で
「りんごさん いたかったでしょうね」
とよびかけてみた
そんな私のよこで
ぼうぜんと りんごの木をみている
おじいさん
だまって りんごをひろいあつめている
おばあさん
二人のせなかが泣いているようだ
長峰小学校 二年 吹田かおり
「今年 りんごおぢでまったはんで
なも行がねばまねべね」
おじいさんとおばあさんが
そうだんして
今年は お父さんも
出かせぎに行くことになった
妹のあさみが
「あっちゃんも お金ねえはんで
おとさんど行ぐ」
と言った
(あさみ行っても
なんもやぐに立だねべな)
みんな 大わらいした
おとうさんだぢ
あそびに行ぐんでねんだよ
あさみは、まだちっちぇはんで
なんも知らねんだなぁ
三和小学校 四年 木村麻依子
「お父さん、りんご今年どうなってら」
「んー。やっぱしよ。みんなきずついでまってらな」
「んだべ」
「台風きたはんでな。どうしようもね」
わたしがねてから、となりの部屋でお父さんとお母さんが話をしていた。わたしは、また台風でりんごが落ちてしまったことを話しているんだなと思った。台風の後、お父さんとお母さんは、何回も同じようなことを話していたからだ。そろそろねようかなと思った時、びっくりするような言葉が聞こえてきた。
「やっぱり今年も行がねばまいねな」
「いづころ行ぐ」
「ん、十一月二十五日ぐらいだな」
出かせぎのことを話しているのだと思うと、体中がカーッとあつくなって、 心ぞうがドキドキしてきた。わたしは、二人の会話を耳をすまして聞いた。
「二十五日に行がねばまいねじゃ」
「んだが」
「火事さなねように気をつけねばまいねや。それに、子どものめんどうちゃんとみでろよ」
「ん、家のことはまがせでけ。いそがしぐね時、電話かげでな」
りんごの話が、いつのまにか出かせぎの話にかわってきていた。お父さんとお母さんの話を聞いているうちに、なみだがじわじわと出てきた。となりでねているおねえちゃんになき顔をみられたくないので、ふとんで顔をかくした。 その時ちらっとおねえちゃんをみると、おねえちゃんも、
「ひくっ、ひくっ」
とないていた。たぶん、おねえちゃんも話を聞いていたのだろう。豆電球が一つついている部屋で、わたしとおねえちゃんはないていた。
野沢小学校 一年 くどうみわこ
きのうね
おとうさん
いっちゃった
ひとりででかせぎに
いっちゃった
ほんとに
いっちゃった
おうまさんに
なるって
いったのに